09米粉の加工国産米を使った米粉めんの製造

アジアへの旅行者の増加やエスニックブームを背景に、ビーフンやフォーなどアジアの米めんの人気が高まっています。ほとんどが海外からの輸入品(国内米めんメーカー最大手のケンミン食品は自社タイ工場で生産したものを輸入)のため、市場の目安は通関統計(財務省)輸入量となりますが、この数字が2022年、1万tの大台を超えました。
従来、粘りのある日本の米は米めんに向かないとされてきましたが、技術革新により最近、メードインジャパンの米めんも誕生し、波里や大潟村あきたこまち生産者協会などからすでに商品が発売されています。

米めんの健康性

米めんの強みは健康性にあります。グルテンフリーで、小麦アレルギーの人はもちろん、健康のために小麦粉の摂取を控える人に最適です。何より野菜との相性が良いこともあり、ケンミン食品が近年実施してきた「野菜と焼きビーフン」を結びつける地道なマーケティング活動や、コロナ禍での内食回帰により、焼きビーフンは「野菜をたくさん食べられる家庭料理」として浸透しました。
マーケティング活動としては具体的に、産地JAと取り組んだピーマンやスプラウトメーカーと取り組んだ豆苗などとのクロスMD(マーチャンダイジング)などがあり、いずれも小売店から高評価を得ました。これらの参加企業・団体はすべて売上増につながっています。
一方、国産の米めんも健康にポテンシャルを見いだしています。とくに夏場、暑くても喉に通りやすく、湯がくだけで炊飯よりも簡単に食べられる食材としてシニア層に人気があります。さらに、発芽玄米や玄米を原料にした商品もあり、原料米の健康性を打ち出しています。

米めんの歴史

(1)日本での米めん

米めんは、インディカ米(長粒種)を生産する東南アジア地域の食文化です。ビーフンは中国語で「米粉(ミーフェン)」と書き、中国や台湾、ベトナムやタイなどで日常的に食べられてきました。かつての日本は米を粒で炊飯して食べるだけで、粉に加工してめんを作るという発想はありませんでした。一般の人がビーフンを食べたのは戦後のことで、当初は大陸からの引き揚げ者が多い九州や神戸中心の西高東低市場でした。全国に普及したのは近年のことです。

(2)日本のビーフンの歴史

わが国のビーフンの歴史は、戦後まもなくケンミン食品など複数社が製造販売を開始したことに端を発します。アジアでビーフンの味を覚えて、引き上げてきた人の間で「もう一度ビーフンを食べたい」という要望に応えてのことです。
めんの形態も生から保存性の良い乾めんへと移行していき、1960年には、家庭用としてより簡便性の高い「即席焼ビーフン」がケンミン食品から発売され、普及の起爆剤となっていきました。

(3)ビーフン原料米の転換

原料米も進化しています。元来ビーフンはインディカ米を原料としているため、日本で生産されるビーフンも当初は外国産米を使用していました。しかし、1969年に米の輸入が禁止された際、当時ビーフンを製造していたメーカー各社はやむを得ず製法を変更し、ジャポニカ米を使用していた時期もあったそうです。
ところが、ジャポニカ米で作るとめん線が柔らかいため、めん同士がくっつくという問題がありました。そのうえ品質が悪く、米100%で製造するのが不可能なため、原料の一部にでんぷんを添加して製造していました。しかし、ケンミン食品では、日本人の好みに合ったモチモチとしながらもコシの強い食感を実現させることと、米の含有率を高めるため、海外で原料として最適なインディカ米を探していました。
そして、1987年に海外子会社ケンミンタイを設立。現地で好適品種を指定し安全性や品質を厳しくチェックして買い付け、同社でビーフンを製造したものを輸入するようになりました。ケンミン食品ではビーフン市場の拡大にともない、2000年に第3工場を稼働させています。
その他の商品は、同社製もしくはエスニックブームのなかで増えているタイや中国、台湾など現地メーカー製がほとんどです。

国産米めんの推進

減り続ける米消費の現況を打開するため、近年では農林水産省が中心となって米粉を切り口にした多用途利用を推進しており、その一環としてめんが注目されています。めんに合う原料米の品種改良も進められ、新潟県から「越のかおり」が誕生しています。
また、健康機能性を有する米として、血糖値上昇を抑制する難消化性でんぷん(レジスタントスターチ)が通常のジャポニカ米の約2倍含まれる「あきたさらり」が秋田県立大学から開発されました。粘りが少ないため、米粉に粉砕しめんに配合したときにツルツル食感が得られるなど、物性面でも米めんに向いており、機能性米めんの誕生が期待されます。
そうしたなか、わが国の米めん市場で、50%以上のシェアを占めるケンミン食品では2024年、冷凍ビーフン製造施設・兵庫県篠山工場内に、国産米専用ビーフン製造設備の本格稼働を開始し、国産米を使った商品開発に乗り出します。「1950年に神戸で創業して以来、蓄積したノウハウを生かし、国内米作付面積縮小に歯止めをかけることに貢献したい」(同社高村祐輝社長)という思いがあります。

(株)日本食糧新聞社 佐藤路登世